考えるよりも感じること |
2013.01.31 |
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今日は、第46回 ガイダンスカルチャーにお招きする講師、村上育朗先生のお人柄をご紹介したいと思います。先生は、長年、受験指導に尽力され成果をあげてこられました。また、震災後、東北地方の支援活動にも熱心に取り組んでいらっしゃいます。先生が活動の中で感じられたことを伝える感動的な文章の抜粋を、掲載させて頂きます。ご一読下さい。
※ガイダンスカルチャーへの参加を受け付けています。生徒を通じて担任へご連絡ください。
生き残ってわかった結論
「考えるよりも感じること」
岩手・私立花巻東高校教頭 村上育朗
<高校生は自立していた>
私は、この3月まで県立大船渡高校に勤めていました。幸い震災当日、家族は花巻市におり、私も盛岡市で会議に出席していたため難を免れましたが、陸前高田市の自宅は津波で全壊しました。留守中の管理をよく頼んでいた叔母の遺体は5月16日にあがりました。叔父といとこはまだ見つかっていません。
不思議と涙はでてきません。涙とは、気持ちに余裕がないとでてこない。人知を超えたものに遭遇したとき、喜怒哀楽の感情はとんでしまうのでしょう。涙がでてくるのは、この先だと思っています。
震災後は3週間、陸前高田市内の避難場所にとどまりました。今は、妻の実家がある花巻市に住み、花巻東高校の教頭をしていますが、週末は被災地に赴き、お年寄りが孤立しないよう支援を続けています。
避難所でー番感じたこと、それは、高枕生は役に立つということです。よく働いた。それもどちらかというと、できの悪いと思われている生徒ほど働いた。本当に感動しました。
3月11日の夜、大船渡高彼の第2体育館には、大勢の生徒や地域の人たちが避難していました。雪こそ降りませんでしたが、寒くて、寒くて仕方がありません。そんなとき、生徒の誰かが「そうだ、同窓会館に毛布があるはずだ」と言い出しました。そして、余震の恐怖のなか、建物から毛布や布団をあるだけ引きずりだし、被災者に配ったのです。
残念ながら、大人は役に立ちませんでした。それどころか高校生が集めた毛布を奪い合うようにしていたのです。見苦しい限りでした。翌日、やはり高校生が少ない物資を配っているときも「もう少しよこして」と言う人が現れました。そのとき「大人がそんなことを言ったら駄目だ」という声があがりました。その言葉でみんな我に返ったのです。
高枚生たちは寒空の中、誰も指示をしていないのに車で逃げてくる人たちの交通整理もしていました。大人はうろたえているだけ。ここで書きたくないこともありました。いかに高校生の存在がありがたかったか。彼らは自立していました。普段、自立していないと見えるのであれば、そうさせていたのは、我々教具や大人のほうだったのです。
<若い店長の行動>
こんなエピソードもありました。その夜の体育館は、余震がくるたび、天井に吊ってある電灯が大きく揺れました。とても怖いのだけれど、暗くてよく見えません。そんなときでした。近所にオープンしたばかりの家電量販店の店員さんが、店にあった石油ストーブと、あるだけの懐中電灯、カゴいっぱいの電池を届けにきてくれたのです。安堵感が広がり、自然に拍手が起こりました。
後日、その時の経緯をうかがいに店を訪ねると、驚くことに、現れた店長さんは26歳の若者でした。私は、マニュアルに基づいての行動であったのかと尋ねました。すると「あんな事態は想像していないしマニュアルなどありません。上司にも相談していません」という返事。
「店の物を勝手に持ち出したことを、あとで本部からとがめられるとは考えなかったのですか?」と開くと、彼は「考えませんでした。ただ寒さだけを感じていました。私が寒さを感じるということは避難所の人はもっと寒いだろうと思って行動しました」と答えたのです。
そう。考えたんじゃない。感じたのです。
26歳の若者が、感じたままに行動したからこそ、多くの人を助けることができた。もし、頭で考えていたら、「上司に責任を問われるかも」「弁償をせまられるかも」と躊躇していたかもしれません。
<マニュアルは役に立たない>
陸前高田市内のある小学校の体育館が津波の直後に火災になりました。そんな二重の緊急事態に対応するようなマニュアルはもちろんありません。枚長は一刻も早く生徒を逃がし命を救うことを最優先に考えました。1年生は教えられなくても裏山に真っ先に逃げ、上級生は下級生を見守りながら冷静に行動しました。枚長はそれぞれが生きる力を身につけていたことを目の当たりにし感動したそうです。かわいそうに、これと反対のことも起こりました。避難訓練のときと同様に、マニュアル通りに整然と行動し、津波にのみ込まれてしまった小学枚があります。助かったのは、「これは、ただ事ではない」と感じ、自分の判断で崖を駆けのぼった教員と生徒のみでした。
教えられたとおりに指定の避難場所に逃げ、津波にさらわれた人も大勢います。やはり助かったのは、ここは危険だと感じ、きらに高いところに逃げた人。いわば、人の言うことを開かなかった人たちです。
考えることが駄目だと言っているわけではありません。けれど、生死を争うような場面では、頭で考えるのではなく、感じて行動することがいかに大切か。これからさまざまなところで、震災や津波に対するマニュアルが作られるでしょう。完壁かもしれないが、さっぱり血が通わないマニュアルを。私は、そんなものは何の役にも立たないと思っています。
日常のことはいい。けれど、命にかかわることをマニュアルで教えることはできないというのが、生き残ってわかった結論です。あの店長のように、自分で感じ、行動できる。そういう人間を育てることが教育だと今は思っています。数えるのではなく、気づかせる教育です。
涙はでないと述べましたが、唯一涙を流したのは、がれきのなか、母校の高田高校を見たときです。津波が通り抜けていった3階の窓にカーテンが風でゆれていました。卒業して四十数年、こんな光景を見るとは夢にも思いません。それまで、いっぱい、いっぱいだったのに、はじめて人間の感情みたいなものがこみあげてきました。
考える時間があるのならば、みなさん、ぜひ被災地に行き、何かを感じてほしいと思います。
村上 育朗(むらかみ いくろう)
岩手県立大船渡高校の教頭を経て、2011年4月より私立花巻東高校教頭。大船渡高校夜間時に「県北沿岸地域5校学力連携向上プロジェクト」を立ち上げるなど、県内外に幅広いネットワークを構築。年間約100国の講演をこなす。
電子情報通信学会「コミュニケーション科学の魅力と学習意欲の向上」より