陸上競技部の記事一覧

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陸上競技部速報 4x400mR 決勝

2014.05.01

こんにちは。陸上競技部の尾花です。

平成26年度、今年度も武南高校陸上競技部を宜しくお願いします。

まず、いきなりですが、動画をご覧ください。

 

平成26年埼玉県学校総合体育大会南部地区予選 男子4×400mR 決勝 

 

先日、行われた学校総合南部地区予選会の最終日の4×400Rの映像です。

 

結果的には、100分の2秒差とは言え、負けてしまいました。しかし、シーズン初めから、マイルリレーのメンバーが最終種目で火の出るような熱いレースを展開してくれました。一気にテンションが高まってきました。今シーズンの武南陸上競技部にご期待ください。

 

さて、その南部地区では男子が総合3位入賞を果たしました。短距離・中距離・障害・跳躍・投擲とほぼ全てのブロックで満遍なく得点を稼ぎ南部地区とは言え久々の3位入賞を達成することができました。

 

また、部員の少ない女子も入賞まではいかなくても自己新記録を出した者が多く顧問としてもうれしく思います。男子も女子も、3年目になって、あるいは2年目のこの大会で、初めて県大会への出場権を獲得したり、自己ベストを出す部員が多いことは、昨年の秋からこの春にかけての、年末の合宿をはじめとする厳しい練習が間違ってなかったことの証だと思います。

 

ただし、5月10日(土)から始まる埼玉県大会は当然ながら、南部地区以外の強敵も集ってきます。各種目、そこで6位入賞を果たさなければ関東大会へすすめません。陸上競技の場合は関東大会に出られない=インターハイへの道も断たれるということになります。ライバルは強敵ですが、我がチームもここまでは、うまくきていると思います。あと、10日、うまく調整をして県大会へ臨みたいと思います。どうぞ、ご声援をよろしくお願い致します。

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陸上部 インターハイ 壮行会

2013.07.19

400メートルを47秒で…

 

陸上部からは2名がインターハイに出場します。

400メートルに出場する荒木くんと白幡くんです。

 

 

順調に調整がすすんでいる中、あえて、秘策はありますか?と質問すると…

 

 

「秘策というよりも、一日、その日一日の練習をしっかりやっていきたいですね。レベルの高いインターハイは、自分との闘いだと思っています。自分自身をコントロールして、本番で自己ベストをだしたいです。」

 

ぶれないコメントに、たのもしさを感じました。でっかいこと…やってくれそうです。

 

夏休み中の活躍は陸上部公式ブログでお楽しみください。

 

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48秒の中で輝きたい!

2013.02.01

『48秒の中で輝きたい!』

 

 

武南高校陸上競技部出身、オリンピックに3大会も出場した陸上競技界のスーパースター山崎一彦先輩は、スランプになることもなく、勝ち続けた強靭な男ではありませんでした。

 

「48秒の中で輝きたい。そのためにどうすればいいのか。」

 

自問自答し続け、諦めずにまじめに取り組んだ努力の人だったのです。

 

 

今日は、シドニーオリンピック前、陸上選手としても悩んでいた時に、武南高校の3年生を送る会のゲストとして壇上に立ってくれた時の話の抜粋をご紹介します。

 

 

 

<講演より抜粋> 

私が武南高校に入学したのは、中学時代(与野市立八王子中学校)に陸上部で110mハードルを練習していたのですが、顧問の先生の異動することとなり、また椎間板ヘルニアで腰を痛めてもいたので、挫折しかかっていた時、中学の顧問の先生に、「武南へ練習に行って来い!」と言われ、ハードルの練習を武南の陸上競技部の先生にみてもらったのが入学したきっかけです。

 

武南高校に入学してから400mハードルを始めました。トラックー周の中にハードルが10台並んでいる、そういう種目です。たまたま400mが速かったので始めたのですが、高知インターハイで4位、北海道国体では優勝しました。そのころから同学年の斎藤選手がライバルとして現れました。大学では彼に一度も勝てませんでした。

 

大学へは、陸上をやる目的で入りました。大学は楽しいところです。合コンやらお酒飲んだりと遊びがいっぱいある中で、私は陸上と勉学を両立していくことを目標としました。大学でのトレーニングは、監督がいてのつきっきりの練習ではなく、自分で目標を定め自由に練習をします。私は、前日に遊んでも、翌日はちゃんと練習をする。それを自分の約束事としました。バルセロナオリンピックを目指して頑張ってはいましたが、練習もやるが遊んでもいたためライバルに勝てませんでした。記録が伸びないのです。

 

追い討ちをかけたのが、大学2年の頃、不況で父の会社が倒産したことです。今まで親の金で大学に入り、遊んでもいましたが、父の会社が倒産したことをきっかけにして、陸上一本でやる。陸上にかける。自らが変わらなければと、それが転機になりました。

 

その当時、私は、“第3の男”と言われていました。400メートルハードルでは、私より速い人が2人いました。ずっとこの2人には勝てないのです。ですが、努力が実り、大学3年の時の1992年、バルセロナオリンピックに出場しました。その後94年に無事大学を卒業しましたが、卒業目前まで就職が決まりませんでした。景気が悪く、陸上をやってお金をもらうことは、たとえ、オリンピックに出ていても、まったく就職ができないのです。

 

マラソンや箱根駅伝などはマスコミなどで大きく取り上げられています。ある企業の社長から「君の種目はテレビに映るのは1分だが、マラソンは2時間だ。」と言われました。企業に入る以上、宣伝の媒休として使われる。そのひと言で私は今まで何をやっていたのだろう、私のやってきたことが否定された気持ちになり少し落ち込んでしまいました。

 

デサントに拾ってもらったのは卒業間際でした。この年、箱根駅伝で母校の順天堂大学が優勝しました。デサントは順天堂大学のユニホ→ムの契約を取りたかったのでしよう、私はその交換でデサントに採用されました。

 

私はプロとしてやっていこうと思いました。会社からお金をもらう以上、成績で私の給料が決まります。このころ“第3の男”が、第4の、第5の男になっていました。漠然と練習しているだけでは、成績は上がりません。成績を上けるために私は海外に行きました。当時は世界ランキンク16位でした。

 

世界に出ると知らない人ばかりです。試合も全然ありません。「山崎ってだれ?」とこんな感じです。草試合のような試合しかありませんので、これではメシが食えません。海外で試合に出られれば3日間ぐらいはご飯が食べられます。こういう状態で安いホテルに一人の生活が続きます。やっと試合が出られるころには精神的にもまいっていて、成果も上がりませんでした。海外では一人ですから自分を表現しなければ埋没してしまいます。しゃべれなくとも開き直ろうと自分の考えを変え、そうすることで自分の世界が広がっていきました。

 

1995時の世界選手権で7位に入賞しました。様々な経験から、違った角度から物事を考えられるようになり、試合前のビビリが一気になくなりました。「緊張するな」と言われると緊張してしまうものですが、私は緊張すると走ることができるように、緊張を自分の味方にして自分を高めていました。この頃、アトランタオリンピックが最大の目標でした。世界選手権7位だったことから、「次はメダルだ」等々新聞は書き立てました。ですが…結果は予選落ちでした。この4年間はバルセロナオリンピックもアトランタオリンピックも予選落ちでした。バルセロナは実力通りの予選落ちなら、アトランタは期待された中での予選落ちでした。後半に抜かれてしまいました。最後のハードルをトップで越え、その後2人に抜かれたのです。流したつもりはありませんでした。それまで新聞は「期待」等書いていて、この試合を手の平を返したように「流した」とか「慢心」と書きました。私はいったい何をしていたのだろうなど心に整理がつきませんでした。何のためのオリンピックだったのだろうか。

 

1997年の世界選手権に再起をかけました。オリンピックの失敗を繰り返えしてはいけないと。しかし、この時ほど心のバランスの大切さを痛感したことはありません。この大会では準決勝でアキレス腱が痛くて途中棄権しました。どうして痛くなったのか、それはオリンピックでの失敗もあり、心のどこかで「やりたくない」、しかし、「やらなければ」という葛藤が、ケガとなって現れたのだと思います。いやいやだと本当にケガをします。ケガしてから3ケ月間走れませんでした。

 

人に勝ちたいと思っていても、どうしても負けてばかり。タイムにもはっきり現れ、私が休んでいる間に自分の持っていた日本記録もなくなってしまいました。しかし、私は、この間、負けることを恐れてはいけない、勝負をうやむやにしてはいけない、たとえ負けても負けから学び次の練習につないでいこう。ということを学びました。

 

私の今後の日標はシドニーオリンピックです。シドニーではアトランタの失敗をどうしても取りかえしたいと思っています。29歳になり、ケガが治るかどうかもわかりません。どうなっていくか楽しんでいます。今は落ち目です。スランプに陥っています。「あいつは今までの名声が終わった」とも言われています。あと2年です。マラソンばかりテレビで放映されていて、みなさんは陸上を見る機会がないかも知れません。私は48秒に凝縮された中で輝きたいと思います。アトランタオリンピック以降48秒のために頑張ってきました。ある社長に「2時間テレビに映れ!」と言われましたが、私は48秒間で自分を表現したいと思います。

 

 

 

 

心の葛藤まで赤裸々に語る陸上競技会のスーパースターの姿は、全校生徒の心を打ちました。そして、心から応援したいと思いました。そんな武南の生徒の思いが届いたのか、彼の真摯な努力が実を結び、シドニーオリンピック出場と結びついたのでした。

 

陸上競技者として、人間として、素晴らしい逸材を輩出している武南高校陸上部。現役選手たちの中から、日本陸連強化本部長 山崎先輩のメガネに叶う選手が現れますように…。応援よろしくお願いします。

 

 

 

※陸上経験者を問わず部員募集しています。ご連絡下さい。

 

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『世界に挑む逸材発掘』

2013.01.29

日本陸連強化育成部長

山崎一彦(武南高出)

 

そういう見出しが躍る新聞の切り抜きが、職員室に貼られています。

 

 

400メートルハードルでシドニー、バルセロナ、アトランタ五輪に出場した山崎先輩の記事に、職員はみな足を止め、上手に今も陸上人生のハードルを越え続けている教え子の姿に、目を細め、あちこちで、こういう生徒だった、あんな選手だったと思い出話に花が咲いています。

 

こちらは、教頭先生が机の中をごそごそ探して出てきた山崎先輩の活躍を記事にした学級新聞、学年新聞です。

 

 

読み返してみると…栄光の輝きだけでなく、決して表舞台の日の当たるところだけを歩んできたわけではない先輩の素直な葛藤も語られていて、改めて感動してしまいました。

 

オリンピック3大会出場という偉業をなしえた先輩が、十数年前に後輩に語ってくれたメッセージを、近いうちにご紹介したいと思います。お楽しみに!

 

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プレイバック 2012年の部活動

2013.01.27

プレイバック 2012年度の部活動

 

平成24年度、マスコミで取り上げられた部活動の名シ−ンが事務室脇に展示されています。

 

 

まずは、常勝紫軍団サッカー部

 

 

インターハイ準優勝 で弾みをつけて、

25年度は選手権出場、国立の晴れ舞台を目指します。

 

 

ロンドンオリンピック出場 を果たした大塚選手を有する水泳部

 

 

個人種目と思われがちな水泳競技ですが、チームワークの良さが武南水泳部の強さの秘密です。

 

 

マイルリレー全国5位入賞 を果たした陸上競技部

 

 

熱血コーチ陣に率いられ…大舞台で実力を出し切った彼らのこの笑顔!

 

 

武南の伝統を受け継ぎながら、イノベーションにも果敢に取り組む新入部員が集まってくれることを期待しています。

 

 

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部活動